記事・ユミコ
長男が10歳になりました。本当によくここまで大きくなってくれたと思う。
2306g、予定より3週間も早く産まれた息子は、「産まれてすぐにダウン症の疑いありという告知を受けない」という少し珍しいパターンでした。赤ちゃんってもっと大きな声で泣くものじゃないだろうか、ミルクの飲みも悪く途中で眠ってしまい、看護師さんに「しっかり飲ませてください」と叱られたりして、私は病室でしくしく泣いていました。なんとなく違和感を抱えながら、産院を退院するときに、ミルクを飲ませてと叱った看護師さんが妙に優しかったことが気になり、そして「大きな病院で赤ちゃんの黄疸を診てもらうように」と渡された紹介状の中に、ダウン症の疑いがあるというような記載があったのを、紹介先の病院で初めて知ったのでした。
確定診断が出るまでの3週間は、何かの間違いでありますようにと願う毎日。それでも息子はかわいくて愛おしくて。検査結果を聞きに行くと、担当医はなぜか休み。はじめて顔を合わせたお医者さんに、ダウン症でしたと言われて、産院も担当医も、言いにくいことを他人に押し付けてなんだよ、こっちはこれから障害児育てて生きていかなくちゃいけないっていうのに、と頭にきたのを思い出しました。笑
実家で、今日だけは赤ちゃんのお世話を最低限にして一人にして欲しいと両親にお願いした日があって、一日中部屋に篭って泣いたりぼーっとしたりして過ごしていると、母親が入ってきて「あなたは写真を辞めないでほしいな。いつか自分を助けるものになると思うから」と言ってくれたのを鮮明に覚えています。この言葉は本当になり、今でも写真は私を支えてくれるものになっています。私はこの日から「息子を育て上げる、幸せになる」と腹を括ったのでした。
子育ては絶対に一人じゃできなくて、それまでは人に頼るということがなんとなく苦手だったけれど、当時は夫の仕事の帰りも遅かったのでそうも言っていられなくなり、友人たちには本当によく助けてもらいました。また、息子が生まれていなければ出会えなかったであろうたくさんの素晴らしい人たちとの出会いがあり、今があります。
よく夫と話すのですが、息子の優しさやユーモアに本当に救われるよね、と。障害児を授かったからといって、そんなに悲観することではなかった。新しい世界が広がったし、むしろたくさんの幸せをもらってるんだなって。
そんな息子の現在のブームはジャッキー・チェン。そしてプロポーズをすること。老若男女問わず、好きな人にすぐ「結婚しよう!」というので、この前はプロポーズした女の子の前で別の子に結婚しようと言っていて「私としようって言ってたじゃん!」と怒られたりしています。
母子手帳に、生まれた頃の写真を貼るページがあるのですが、私はどうしてもこのページに写真を貼ることができませんでした。母子手帳の中にある子どもの成長の記録「

できますか?」という質問はほとんどが「いいえ」だし、苦い気持ちを思い出してしまって。10年目して、このページに写真を貼ろうと思い立ち、生まればかりの息子の写真を印刷して貼ったところです。
メッセージ欄には「礼くんが産まれてくるのを、みんなが楽しみに待っていたよ」と記して。