記事担当 みほ
このドラマについて、すんごい長文を以前に書いた。
相当心折れた。
そして今私は、子どものダンスレッスンに付き添っている。みんなが上手くなりたくて、必死に戦っている場だ。
障がいのある子どもたち、病院で入院してる子どもたち、難しいダンスにチャレンジしている子どもたち。
みんな同じ空にいるんだよな。
当たり前のことなのに、なんかどちらも現実じゃないような気がしてしまう。
今私は混沌としている。
だからこそ、初恋、ざらりについて、もう一度書こうと、扉の向こうの爆音の洋楽を聴きながら思った。
このドラマは軽度知的障害の女の子が、健常の男性に恋をする恋愛ドラマだ。ひまりが保育園の時仲良くしてくれていたお友達のママがオススメしてくれた。教えてくれて本当にありがとう。
1話を観た時、大号泣した。嗚咽をあげて泣いた。
なんとも言えない気持ちだった。
「普通になりたい」
「世界で必要とされるためには普通でいなくちゃ」
「普通」という言葉が苦しくてその言葉が出てくるたびに泣いた。
私は多分「普通」を知っている。
だから「普通じゃなくてもいいじゃん」と言える。「普通」が本当に分からなかったら?あー。。。苦しい。
ドラマに出でくる「AMPMが分からない」のくだりも、「分からない人もいるよね」になるのかもしれないけど、
「知ってるのが普通で当たり前」なのだ。
みんなの普通で当たり前を知らなかった時の絶望はどれほどだろう。絶望を感じさせない「あー分からない人もいるよね」が咄嗟に出せる人はどれくらいいるだろう。
私は出せる自信がない。多分「え?知らないの?」ってきっとなってしまう。
このドラマを観る前に、サプライフにいつも協力してくれているTikTokerのモモティが、ドラマの制作に携わっていると動画をあげていた。当事者からきちんとリサーチしていることはステキだなと思いつつ、ももてぃはどんな気持ちだったんだろう。と思ったら居ても立っても居られなくてももてぃへラインした。
溢れるほど思いがあるけど、なんて伝えたらいいか分からなくて指が止まる。
こんなに分からない「普通」で縛る世の中になってなんかごめん、って私が謝るのも変だし。
だから、TikTokをみてドラマをみたこと、ももてぃが大好きだということを伝えた。
ももてぃからの返事はそれはそれは温かいものだった。また泣いた。
いつだって、世間からはマイノリティと言われる人たちは、私を温かく受け入れてくれる。もしかしたら、エールを送りたくてかけた言葉で傷つけているかもしれないのに、いつだって笑顔で返してくれる。
私には何ができるんだろう。
考えたってきっと何もできない。
だけど、知ることはできる。
このドラマを通して少しでも、私の知らない世界を知っていけたらと思っている。
それがすごくちっぽけな私のできることだと思っている。
初恋、ざらり
https://www.tv-tokyo.co.jp/hatsukoizarari/
モモティーのTikTok